撮影日記番外編 オ−ストリア紀行 4
ザルツブルク:2000年6月23日〜24日
モ−ツアルト好きのわれわれ夫婦には,聖地!!!。
今回とは逆の順序でウイ−ン・ザルツブルク・インスブルックと旅した30才代半ばのあの時以来だが,旧市街に入ると,サッと記憶が立ち戻る。この角からモ−ツアルト生誕の家,と首を振れば,そこには,あのときの黄色の家。ここを曲がればモ−ツアルト広場と勇めば,小雨の中にモ−ツアルト記念碑が建つ。
<小雨のホ−エンザルツブルグ城から: 手前はフランティスカ−ナ教会。
ゴシックやロマネスクなどの建築様式が混在し,
趣向豊かな教会といわれている。>
ホ−エンザルツブルグ城の高台からミラベル宮殿の花の庭をみつけるにも,3秒とかからない。もっともザルツブルクの旧市街というのは,猫の額のように狭いのだが。
<小雨のホ−エンザルツブルグ城から旧市街を望む:左手丘の下の中央広い屋根が祝祭劇場>
23日は現地ガイドの案内で街を歩き回る。あちこちの広場や教会を覗き,モ−ツアルトの顔が包装紙に書かれたチョコレ−トでザルツブルクの銘菓であるモ−ツアルトク−ゲルンの店・フリュストの前を通り,中心街ゲトライデ通りにはいる。この通りは,傘を差す観光客で一杯で傘同士が触れ合いながらでなくては歩けない。店先の鍛鉄の看板が中世の繁栄の名残りというが,ちなみにこの旧市街は,中世の佇まいを残す街として世界文化遺産へ登録されている。
<ゲトライデ通りの鍛鉄の看板:下記* 許可を得て使用>
翌日は,まず郊外のヘルブルン宮殿に行く。ここは大司教の夏の離宮とのことで,深い緑に囲まれた黄色の宮殿は,如何にも涼しげである。呼物の「水の楽園」(仕掛けた噴水のショウ)は,時間の関係で楽しむことが出来なかった。
<ヘルブルン宮殿の池>
宮殿中庭の一角にある教会から,室内楽曲が聞こえてきた。終わると小奇麗な身だしなみの人達が外に出てきた。結婚式があったようだ。
いくつかのグル−プに別れて歓談が始まったが,その輪の中にいた女の子に,花嫁以上の存在感があった。貰った贈り物でも覗きこんでいるのか,この時は大人の会話には無頓着であった。
<何を頂いたのかしら・・・:妻,写す>
雨のモ−ツアルト広場。レストラン・グロッケンシュピ−ルの屋外のカフェでサンドイッチとビ−ルの昼食を取りながら,モ−ツアルト記念碑を眺め,恍惚状態。街を歩きながら,カフェを覗くがあまりの騒々しさに入り口で引返したり,路地の宝石店をウィンドウショッピングしたり。
モ−ツアルト生誕の家を,裏側から見上げた。
今は観光客が見下ろしているが,17歳までここで暮らしたモ−ツアルトも,このように裏の広場で開かれる青空市場を眺めていたのだろうか。
<裏から見上げたモ−ツアルト生誕の家>
この後,この前の時に見損なった祝祭劇場の裏方を見せてくれるガイドツア−に参加。ドイツ語訛りの英語の説明を理解したような顔で聞きながら舞台裏の壮大な仕掛けを見て周り,大劇場の聴衆席からシャッタ−1.5秒で金色に装飾されたス テ−ジの緞帳を撮り,7月下旬から始まるザルツブルク音楽祭に思いを馳せた。オペラは大好きというわけではないが,この劇場の隅々まで歩く間,例外的にお気に入りの「魔笛」のパパゲ−ノの旋律が頭の中で鳴っていた。
<祝祭劇場大ホ−ルの
緞帳>
ホテルに帰りジャケットに着替え,てんぷらうどん(てんぷらの量がタップリ),妻は握り寿司の夕食の後,室内楽団SALZBURGER
MOZART SERENADENで,昼間思い出していた「魔笛」や「フィガロ」のアリアや重唱を楽しんだ。
ザルツブルクは「塩の城」の意。岩塩で栄えた街である。ス−パ−で妻は塩の
紙パック500gを二つ買った。日常生活品のス−パ−なので,下手をすると「Imported」を買う恐れがあるが,慎重吟味の結果,「Salzkammergut」(ザルツカンマ−グ−ト:ザルツブルクの東部の地域)と書かれたものを選んだ。陳列棚には見当たらなかったが,妻は本当は固まりの岩塩が欲しかったのだ。
夜中は豪雨。だが,思い出は流れずに残る。
*昭文社 エアリアガイド海外/30 「オ−ストリア」2000年1月第24版
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