撮影日記番外編 オ−ストリア紀行 7
                    ( 最 終 編 )

                 ウイ−ン:2000年6月26日〜27日


 ここも私達には聖地。
ハプスブルク帝国の600年間の
栄華を偲ぶ以上に,
音楽や絵画の雰囲気に浸りたいのが本当のところ

<シェ−ンブルン宮殿の庭:
 天気の良い日には誰でもこう撮る 絶景ポイント。>








<シェ−ンブルン宮殿入り口門
 の紋様。
 シェ−ンブルン宮殿の黄色は,
 マリア・テレ−ジア・イエロ−
 というそうである。>








 だがそうは言っても,ハプスブルクから逃れられないのが,この街。
 音楽や絵画も,そして名物の多数のケ−キも美しい街並みも,ハプスブルク帝国の遺産であるから。
   
    
<シェ−ンブルン宮殿の庭を囲む林の
     トンネル道>




  シェ−ンブルン宮殿の庭と内部を一巡りし,ベルヴェデ−レ宮殿の上宮からウイ−ン旧市街の屋根屋根を見渡し,観光写真を量産し,夜はグリンツィングのホイリゲで,ウインナソ−セ−ジと何やら分からないミ−ト,白ワインの食事を取る。店の名前は失念したが,壁には,ここを訪れた著名人の写真がずらりと並んでおり,有名な店らしい。ワルトハイム元国連事務総長,ソフィア・ロ−レン,ダライ・ラマ,ニクソン元アメリカ大統領などが写っていたように思う。バイオリンとアコ−デオンでが奏でる音楽は,ほとんど全部の客が日本人(!!)であることもあって「スキヤキソング」のサ−ビスもあったが,ただやたらと楽しげに奏でるだけの演奏はひどいもので,客をナメテイルとしか思えない。ナニが音楽の都か。ワインは牛乳用のようなコップでガブ飲みさせるだけの軽さで,上手かった。
 
  翌日は,予定がたっぷり。この前行き損なった中央墓地が最初の予定。親切なサラリ-マン風の方が,乗り換えの駅を教えてくれたり,車掌に「着いたら下ろしてやってくれ」と頼んでくれたり。
 中央墓地では,ひたす音楽家たちの墓碑を撮った。ちょっとマニアックな性格かな。
 ところで,ここにモ−ツアルト像はあるが,これは墓碑ではなく記念碑(*)とされている。モ−ツアルトの遺骨は,ここから少し離れた聖マルクス墓地に埋葬された。死亡時には極貧にあえいでいた彼の経済状態のため,家族や友人達は,十分な葬儀の費用がなく,共同墓地に埋葬されたのであった。その時は聖マルクス墓地という地名が私の頭になかったが,案内書などの販売をしている人に,「墓は別のところにある筈だ。教えて欲しい」と訪ねるが,「あれがそうだ。墓はあれしかない」という。キチンと調べていなかったのが悪いが,どういう案内をしているのだろう。後で地図を見ると,歩いて20分以内くらいのところに聖マルクス墓地はあった。時間不足で今回は見送らざるを得ない。
  
    (*)モ−ツアルトの埋葬や墓に関しは,モ−ツアルト研究家によって諸説が展開
     されている。それらによれば,聖マルクス墓地での竪穴式墓地では,遺骨は
     確認不能であるという悲しい事実がある。遺骨を特定できないためであろうか,
     1859年(なんと死後68年)に聖マルクス墓地に「記念碑」が建てられた。 
     その後1891年にここ中央墓地に移されたという。今の聖マルクス墓地には,
     どういう形でモ−ツアルトは眠っているのだろうか。どなたか教えて頂きたい
     のだが。無理をしてでも聖マルクス墓地に廻ればよかったと,後悔は大きい。
     <右上が中央墓地のモ−ツアルト記念碑:
       台座の上の女性知っている方,教えてください。>
                  
      
 
  タクシ−を飛ばし,ベルヴェ−レ宮殿上宮の「19・20世紀オ−ストリア絵画館」に行く。
ここは,世紀末芸術の巨匠であるクリムト,シ−レ,ココシュカの宝庫である。初めて見るクリムトの風景画の繊細さ驚き,シ−レの苦悩に汗ばむ思いであった。

<ベルヴェデ−レ宮殿の中庭:
上宮から下宮越しに旧市街を
望む>



 

  もう一つの予定は,美術史博物館(美術史美術館とするものもある)。この前来たときにぶらりと立ち寄って観たブリュ−ゲルが忘れられない。世界最大級の規模の美術館でどこに何が展示されたいるのやら。日本語の内部見取り図を出して,案内人に今私はどこにいるんだろうと聞くと,かなり長いこと案内図を睨んでいた。教えてくれたが,この広さでは観るものを絞らざるを得ない。ブリュ−ゲルに一番近い道・オランダ絵画の部屋だけを辿りながら,省エネ省時間観賞。ブリュ−ゲルは,画集で観るより落ち着いた筆致・色合いだと思う。「雪中の狩人」のどこに,このように惹かれるのか。前景の黒い狩人に対比させた鳥瞰図のような雪の遠景という基本構図が素晴らしいが,その中に描きこまれた村人の生活への思い入れがブリュ−ゲルである所以かと思う。「農民の結婚式」でも,ブリュ−ゲルの描く村人の表情の豊かさ多彩さに,目が離せない。
 フェルメ−ルの一点「絵画芸術の寓意」という難しいタイトル・内容の絵もよかった。それにしても見損なった絵の多かったこと。
 
 土産などの買い物の後,ザルツブルクと同じようにホテルに戻り,ジャケットを引っ掛けて小さなコンサ−トへ。国立オペラ座はカルメンで切符は売り切れ(予想はしていたが,管弦楽が聞きたかったので敢えて予約はしなかった)。樂友協会ホ−ル,コンツェルハウスは休館。めぼしいものは何もなく,観光客相手のWiener Hofburg Orchesterでワルツなどの小品を聞く。オケの水準は良い。
 この前は,見事にオペラ座,樂友協会ホ−ルと二晩を制覇したのに。なんという不運。ジャケットも黒い色の靴も不要だったのだ。

     
 <王宮庭園にあるモ−ツアルト像:
       花の植えこみは,ト音記号>

 


 昼食は,カフェ・モ−ツアルトで待望の本場のウインナ−・シュニッツェル。夕食は,そばが恋しくて天満屋で天ざる。あと最低二日は欲しいウイ−ンであった。


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