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大原はだか祭りのこと
現に降っていたし午後からは完全に雨マ−クの千葉地方の予報だったが,今回ミニ撮影会の幹事に任命され現地下調べもし,町観光課に二回電話をかけ写羅句九月号を大原特集に 仕立てた以上,休むわけにはいかないではないか。どのみち他にやることもなかったので出かけた。
10時の雨と風の大原海水浴場は夏の賑わいの名残はなく,午後の喧燥の予感もなかった。天候がよければ防波堤にはすでにぎっしりと三脚が立っているはずだが,二,三のカメラマンが顔をしかめてうろついているだけだった。
10時半北寄瀬八坂神社。七年に一度のご遷宮式はすでに始まっていた。真新しい神社の前の空き地に18社の神輿が集まり,1社ずつ境内になだれこんで気勢をあげ次と交代する。空き地で控える1社当たり50〜60人(位かな?)の17社約1,000人の若衆の捻じり鉢巻の頭の群れは,300mmで覗くとみごとな人間集合模様だが,構図でいえばやや高い位置からでなくては面白くない。脚立を利用している人がいるが,撮りたいように撮るには脚立を持って来るくらいの骨惜しみはしないことだ。ハッピを着て髪飾りをつけた小さな女の 子を祭り衣装のむくつけき親父が誇らしげに抱きかかえた光景は,とても嬉しい様である。撮らせて下さいと頼む勇気もなく,ほとんど横か後ろからの盗み撮りになるので,結果はスライドを見るまでもない。
漁港に引き返し荷捌所の前で車を止め食事をしていると,12時半というのに2時からの五穀豊穣・大漁祈願のために神輿が集まりだした。危ないから車を移動してほしいと言う。今年は行事が早めに進んでいるとのことで,今日の雨は人の心を落ち着かなくさせているのだ。
3時開始予定の汐ふみも2時半頃に始まった。雨がひどくなったり小雨になったりする砂浜を18社の神輿が駆け,次々に浅瀬に入り込み,走り,神輿を投げ上げ,廻り,他の神輿と競り合い,沖合いに向かい,引き返し,乱舞する。
三脚を立てたのは,古いコンクリ−トの防波堤に繋げて作った石積み防波堤の内側斜面の大きな石の上。反対側の斜面には外洋からの波がどどんと突き当たり,ときに波頭はキャ−という悲鳴 とともに堤の頂上に達し,おぼつかない足つき腰つきでカメラを構えているこちら側の私たちの足元の石と石の間に寸時の激流を生じさせる。水中の18社の舞踏は続くが,手で海水を神輿にかける飛沫はほとんどなく,ましてやしぶきが陽光で輝く嬉しさを味あうこともなく,約1本を消化する。
5時半頃から大原小学校校庭で大別れ式。18社の神輿と見物人は渾然一体となって校庭を埋め尽くし別れの熱気を共有する。氏子が手に捧げ持つ提灯は雨対策のビニ−ルが被せられ,十分に暗いとは言えない薄暮の中では灯りの幽玄は期待すべくもない。フラッシュが届きすぎたり届かなかったりという心配をしながらここで約1本。
最近の私の写真は三脚を立てた時でもブレたものが多い。撮る行為にが真剣さが欠けているのだ。内容が素晴らしければカラ−版森山大道となることだろうが,ふざけるんじゃない。
以上
<1997年9月号「写羅句」掲載>
大原はだか祭りは,毎年9月23・24日,千葉県夷隅郡大原町で行われる五穀豊饒・大漁祈願の祭りのハイライトの一つである。私が一日を過ごしたのは一日目の23日。大原地区の神輿18社がそれぞれの地区で祭事を行い,午後に大原漁港に集結して大漁祈願祭に臨み,午後3時頃から砂浜の浅瀬で「汐ふみ」を行う。掛け声も高らかに海の中に走り込み,怒涛の中で数社の神輿がもみ合う様は,見るものを興奮に掻き立てる。波が高く神輿や担ぎ手の氏子達に飛沫が襲いかかる。氏子達が自分たちの担ぎ手やよその担ぎ手に海水を掛け,陽光にしぶきが光ると,見物人は歓声をあげて喜ぶ。浅瀬に入り神輿の近くでカメラを構える人は,間違いなくずぶぬれになり,海水を被ったカメラがその後動くかどうか,不安になる。
夕方からは,神輿は街の商店街の渡御に入る。これが二つ目のハイライト。ゆったりしたテンポで流したり,歌い踊りながら,時に掛け声と共にジグザグの動きを見せたりする。1Kmほどの渡御の向かう先は,大原小学校の校庭での「お別れ会」,最後のハイライトである。全部の神輿が,ここでは乱舞極める。走り,ぶつかり,神輿を投げ上げ,受け止め,また走る。祭りのクライマックスである。見物人もまったく神輿と一体となって,歓声を浴びせ,もみ合いの中に入り,別れを惜しむ。校庭を出た後も興奮は静められず,商店街でもみ合いを見せる。秋の夜空に熱気が吸い寄せられるかのように次第に静けさが忍び込んできて,やがて三々五々に神輿は自分の神社に引き上げていく。引き上げる神輿について,表通りから路地に入れば,ふっと淋しさが漂う。この「お別れ会」は一日目の行事である。
最後の二日目は,「大別れ会」となる。この一年間,エネルギ−は,このために蓄えられてきたのだ。どんな「別れ」になるのだろうか。そして,エネルギ−高まりが高いほど,後に訪れる静寂と淋しさは大きいだろう。その静寂と淋しさには,来年のはだか祭りへの情熱が潜んでいるのだ。
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