撮 影 日 記
|
|
| 平成14年1月1日〜3日:千葉県九十九里 元日の朝を屠蘇・雑煮で祝い,九十九里浜の国民宿舎(リゾ−トホテルとは言えないが,県営の立派な施設)に向う。ここで子供達の家族と新年を過ごそうということになったのは妻の発案。みんなこの計画を喜んだから,マァ イイカァ! 一日遅れの初日の出でも撮るかと,ンン万がチラツイタがみんなの顔もチラツキ,同意した。 九十九里の沖合いは親潮と黒潮がぶつかるところで,そこには濃い霧の層ができて,晴天のときでも,遥か遠くの水平線のすぐ上に,空を期待することが殆どできない。恐らく,水平線からその低い雲の上に 太陽が顔を出すのに,5〜6分はかかるのではなかろうか。その上部に朝焼けをする雲ではなく真っ青な空があったり,逆にどんよりと分厚い雲が広がっていたら,ここの日の出は,全く写真にならないのである。おまけに,この広く長い砂浜では,適当な前景を探すのが難しい。こうして,自分の身を置く状況に難癖ばかりつける私にとって,ここに示すのがベスト(景色としても写真としても?)といえる写真不毛の三が日になった。 平成14年1月10日:千葉県鋸南町の水仙:死んで花実を・・・・ 南房総・鋸南町の水仙撮影の回数を重ねるにつれて,私の興味が水仙の花から離れて,この時期休耕田となっている田圃(ここは棚田が多い)の畦模様に移っていくのを感じている。 畦には水仙があっても無くてもよい。イメ−ジした構図のイメ−ジした場所にズバリと水仙が入り込んでくれば言うことは無いが,無くとも,やや高めの斜光が適度の陰日なたのアクセントを付けてくれている畦の曲線や直線の走りが作りだす造形は,なんともフォトジェニックで,それで毎年ここに来てしまうのである。 今年は,花の咲き具合がことの外良かった。これなら花を狙って歩き回っても収穫はあるのだろうが,私は,畦模様ばかり探して道路や畦を上り下りした。 あの日のことを思い返しながらここまで書いた時,待テヨ?とささやく声があった。 急いでスライドボックスを取り出し,あの日のスライドを眺め直した。畦模様は,すべて水仙入りである。ファインダ−越しに見た絵の水仙の記憶は非常に希薄であるが,やはり私は水仙風景を撮りに行っていたのである。水仙は畦に解け込んでしまい畦と一体になって畦模様を作り出し,私は水仙のもたらした隠し味をそれとして意識できなかったのである。言い換えれば,畦を撮りたいという願望の前提に,畦と同体化した(死んで花実を咲かせた・・・トウトウ水仙ヲ殺シテシマッタ!!)水仙の存在が意識の深層には潜んでいたことになるのである。 ![]() ところで,水仙が無かったら,畦の造形は撮らなかっただろうか。今は自分でもわからない。もう一度現地に行ってみて,どういう構図を撮りたくなるのか,確かめてみるしかないようだ。今も脳裏にちらつく絵は,くどいが,畦模様だからである。 ご披露する写真は畦模様ではないもの。こういう場所だということをご紹介したいので。畦模様は,「水仙の里」にアップ(平成14年4月1日)予定。 back index next |