撮 影 日 記
平成15年5月


平成15年5月1日:埼玉県川越市−小江戸・蔵造りの町
 
今回が二度目の川越である。めぼしいスポットは歩いて廻ることが出来るという記憶はあったが,駐車場のある喜多院から‘小江戸巡回バス’に乗った。このレトロ感覚のデザインのボンネット・バスも,蔵作りの商家がある一番街通りも,一番街の隣の菓子屋横丁も,いっときを楽しむ笑顔の観光客であふれていた。
 蔵作りの商家は,主として一番街通りの両側に沿って200メートル位の間に建ち並ぶ。写真を撮りながら歩いても,10分でに人出の喧騒から抜け出ることが出来るというこじんまりとした小江戸である。
 市の公式ホームページで, 「享保5年(1720)に幕府の奨励で,江戸の町に耐火建築として蔵造り商家が立ち並ぶようになりました。江戸との取り引きで活気のあった川越の商家もこれにならい,蔵造りが建つようになりました。」と,街の謂れが紹介されているが,ここらが「小江戸」の名称の出どころだろう。
 蔵のある一角から通りを南下すると,道の両側の商店や路地は,寂れつつある旧繁華街の状況を呈してくる。こうした現象は,郊外型のショッピング・センター等の発展によって生じるもので,地方都市にはよく見られるものである。閉店後相当期間経つと思われる商店,さび付いたトタン板の広告,空き地に傾く何かの小屋など散見される。写真の眼から見れば,むしろこちらの雰囲気が気になる。何を撮っているのと問いたげな妻の横で,時の流れを示すこれらの風情に,しばらくの間カメラを向けた。何枚かを撮ったあと振り返れば,一番街のさざめきはもう聞こえないが,行き交う人たちは軽やかに動き,黒い蔵造りの屋根屋根が皐月晴れの空の下で眩しかった。

平成15年5月21日:長野県北国街道・海野宿
 会社に入って間もなくの時期から30年以上もお付き合いを頂いている先輩が,今年も,軽井沢にお持ちの別荘に呼んで下さった。お邪魔したのは3人。いずれも,30数年前にこの先輩の部下として同じ職場で働いた者である。
 双眼鏡を片手に野鳥を観察し,堀辰雄文学記念館など近場の見所を訪ね,入浴は温泉に出かけ,夜は酒を酌み交わすといった男4人の気のおけない二泊三日を過ごしたのだが,そうしたなかで訪れた場所の一つが,小諸と上田の中間地点にある,北国街道・海野宿である。
 この日は,上田市の南西・塩田平の別所温泉にある曹洞宗の名刹・安楽寺で国宝の八角三重塔を観賞し,引き返して,千曲川のほとりの海野宿を訪ねた。

 海野宿。東西に走る北国街道に沿った約600メートルの間に,江戸時代の伝馬屋敷や旅籠,明治になって建てられた蚕室造りの建物が並ぶ。
 今日のこの旧宿場は,見物客も殆どなく,閑散として佇んでいた。弱い太陽の光がほぼ真上から降り,もともとは黒々としていたに違いない瓦屋根は,光の下でいくらか茶色がかって見えて,黒瓦の連なりがみせる色彩的なインパクトはない。やや白っぽく光る意外に広い旧街道の道幅が作り出す空間と相まって,一つか二つのポイントに向けられた視点が次第に広がり,やがて目が全体像としての一枚の絵画を認識するような,そんな意識の動きを感じさせる光景ではなく,この旧宿場は,すっ−と向こう側か空中に拡散していくのではないかと思うほどの,あっけらかんとした空間を感じた。空の青の薄さも,この‘抜けていく’感覚を醸し出したかもしれない。
 こんな風に感じられて,なんだかポイントが定め難いここが写真になるのかな,というのが最初に街道の端に立ったときの印象であった。
 ところが,屋根や壁や格子や用水,緩やかな街道の曲線といった,ここの景観のコンポーネンツに眼を向け始めるとると,宿全体が,次第に雄弁となった。アチコチで,構図が出現し始めた。特に私が惹かれたのは,卯建である。なかでも,当時の養蚕業の栄華を示す袖卯建の白壁の美しさと形の誇らかさは,見飽きず撮り飽きない被写体であった。

 撮りたいものを沢山撮りそこなった小半日であったが,こういう場所では,いつも撮り損ない・撮り忘れだらけである。いつまでこの後悔を繰り返すのだろう。


    「蔵造りの町・川越」と「北国街道・海野宿」の由来や何枚かの写真は,
         小さな旅  カメラ・スケッチ の PART2 に掲載。

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