撮 影 日 記
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| 平成16年1月20日:南房総鋸南町・水仙の里 寒がりの私は,冬場は概ね冬眠モードに陥るのだが,それでも白鳥撮影とここ鋸南町の水仙を眺めながらのブラブラ歩きは,毎年欠かすことがない。 天気予報をしっかりと確認したうえで出かけるので,毎年,小春日和の南房総詣でとなっている。水仙の白のぬくもりと辺りに漂う花の香り(実は,私はあまり感じないが,妻に言われて気がつくという鈍感さ!)に包まれて,坂道や畦道を上り下りすると,春の只中に身をおいた安らぎを覚えるのである。いつも思うのだが,ここには春を感じに来るのである。水仙の花をアップで撮ることは殆んどなく,畦や土手に咲く花の群生を取り込んだ,‘うらら’としか言いようがない風景ばかりを狙ってしまうのは,そういうことと関係しているのであろう。 ![]() 気温も暖かく風景も暖かければ,ここに来る目的は達せられるのだが,少し気になるのは,毎年,水仙風景が少しずつ変化していることである。ここは水仙栽培地であるから,土手や畦などの一箇所あたりの面積が小さいところでは,収穫量との兼ね合いで,栽培の量を落としたり或いは栽培を止めたりすることがあるのだろう。そうだ,あそこに行ってみようと坂道を上り下るのだが,昨年の光景はなく,畦には雑草の緑が茂るだけというところが,何箇所かある。田圃の風景も少しずつ変わっていく。昨年は水が張られていてそこにいる蛙の鳴き声の大合唱に驚かされた一枚の田圃は,今年は休耕田の趣きとなっていた。 私にとってはのんびりと過ぎていく小春日和の里山であるが,ここで生計を立てておられる方々は,生産効率化に必要な現場変更を毎年行わなければならないということであろう。 江月地区の坂道を登りきったところに,「撮影スポット」と書かれた看板があった。海の方角を眺めやると,山間や斜面を下っていく水仙風景の彼方に,東京湾が真っ青に光り,その奥の春霞のなかに,富士山が姿を見せていた。今年始めて設置したというこの看板にいわく。「運がよければ富士山が見えます」。 ・・・・・・私は殆んど毎年,見ている。 平成16年1月29日:千葉県本埜村の白鳥 着いたとき,無風状態だった。これでは飛ばないだろう,早めに引き上げて,印旛沼の夕景でも撮りながら帰ろう,などと思いながら,暫くは撮影準備もせず,何羽かいるはずのオオハクチョウの姿を探していた。 3時少し前から,急に東よりの風が吹き始めた。ソヨソヨから次第に強めの冷たい風に変わっていく。ノンビリとしていた白鳥たちはもざわめき始めた。あわただしく機材をセッティング。水のない田圃で遊んでいる200羽位が,水の張られている隣の田圃に移動して飛翔に備えるだろうなどと思っている矢先に,水のあるほうからの飛び立ちが始まった。風が少しずつ強まっていくなかで,白鳥たちは,次々に飛び立っていく。溜まっていたエネルギーを一挙に開放させるかのように,群れが続き,それぞれの飛翔範囲もかなり大きい。一つの群れをファインダーで追い続けていると,その群れの手前に,突然に別の群れが写りこんでき て,構図が一度に壊れ,追うのを諦めてカメラから顔をはずす。上空を見渡せば,何ということ。白鳥たちが花びらとなって天空に散りばめられたかのように,舞っているのである。水がない田圃にいる白鳥たちも,泥の上を走り畦を飛び越えて,飛び出していく。そして,花びらになって空を舞う。 EOS 10Dの9枚連写をフル活用。バッファ・メモリの回復の遅さ(RAWでは,10秒程度ははかかるようだ。JPEGなら数秒という)のために,何度もシャッターチャンスを逃し続けたが,一時間少々で,260枚ほど。もしEOS 1Nを使っていたら,早いときには10秒程度でフィルム一本消費だから,フィルム入れ替えの手間を考えても,もっと大量のフィルム浪費になっていただろう。 もう飛ぶのは,止めてくれ! これでは枚数が行き過ぎてかなわんよ!という心境になったのは,白鳥撮影10数年にし初めてである。そういうふうに思うのではなく,シャッターを押し続けなければいいのだが,飛んだら撮るという感覚が染み付いてしまった今では,もう,撮影過多症候群という病気でしかない。 前回分も含めると300枚になったRAW現像からレタッチ作業の大変さを,お察し頂けるだろうか。・・・・・・もうよしてくれ! は,やはり正解です。 back index next |